2019年1月の計画
今年から、毎月「当該月の目標を立てる」「先月の目標達成度を振り返る」ということをやっていこうと思います。
1月の目標
学業
・数理手法3(連続/離散最適化)・数学3(微分幾何)の単位をなるべく勉強して取得する。「やさしく学べる離散数学」を読み切る。
・卒業設計
初期性能等計算書の提出とFB、また細部の設計が始まります。ここについては大きな目標などはありませんが、普通に卒業できる程度に取り組みます。
・kaggle
DSBを一週間のフルコミットで参加したいと思います。同じ期間でsantandarでも銀相当のコードを仕上げれたので、今回も頑張ります。
・論文執筆
論文の骨格を仕上げ、追加実験の計画を立てるところまで。恐らく関連論文をいくつか読まなくてはいけないと思うので、それも。先行論文がICLR2020にアクセプトされたようなので、それなりのところを目指したい所存です。
・(宇宙機制御工学の最終レポ)
余力があれば。カルマンフィルタとかのC++での実装です。
・(有馬記念のqiita記事を書く)
こちらも余力があれば。
それ以外
・バイト
週3回の勤務は変えずに、新年も頑張ります。
・フルマラソン完走
初参加で高い目標を立てても仕方がないので、時間は問いません。それでも制限時間は6時間なので、一定過酷な戦いになるような...。新年いい走り出しになりますように。
・富山旅行
1月末から2月頭、休みをとって富山旅行に行きたい。
年始めから結構詰まっている気がしますが、一つひとつ頑張っていきたいと思います。この目標設定のフォーマットも、適切かやってみないと分からないので適宜修正していこうと思います。それでは。
2019年の振り返りと2020年の抱負
あけましておめでとうございます!
2019年を振り返った上で、2020年の抱負というか戦略?を考えてみたいと思います。
去年何やった?
1月 思い出せないので思い出したら書く
いきなりこれだよ...。
2月 MIT訪問
前半は学科のレポート群とGLPの発表を躱わしながら、週3ペースで友達と会って飲む穏やかな春休み。
後半は3Sで取っていたMUSCATプログラムでMITへ。向こうではZachやFranklinといったMUSCAT時代の友人との再会に喜びつつ孫正義財団の人など向こうに留学している人にも会えた。プログラムが意図している方向ではないが、自分の進路に影響を与えました。これについては3月末に進路に関する記事を出したいと思ってます。
3月 学科旅行→サークル卒業旅行(マレーシア)→GLP合宿
この月は怒涛の旅行ラッシュでした。
学科旅行は途中参加でJAXA種子島へ。(去年五月祭の企業出し物の関係で三菱重工の名誘工場には訪れていたので、重工は遠慮しました。) JAXAは府中などは訪れたことがあったのですが、種子島の熱気は特別だった気がします。
中盤はサークル卒業旅行でマレーシアへ。皆が社会人になるのは不思議な感じで、まだ学生が続く自分は普通じゃないんだなと実感しました (周りは95%院進なので。)
GLPについては2月に正式に修了したら記事を書きたいと思います。
4-5月 インターン開始
スタンフォード留学の余波で単位が足りなかったので、いくつかの授業を取りました。
また、今お世話になっている会社でインターンを開始しました。機械学習による株の自動トレードシステムの開発です。春休みは集中コミットできるように頑張ります。
それ以外だと、留学の準備や研究室で先生に買ってもらった本を読んだりして卒業研究どうしようかうんうん考えていました。
kaggle初参戦のsantandarコンペでは銀メダルレベルのコードを作れていたのですが、最後に違うコード提出するというトンデモをやらかし幻の銀になってしまいました。ああ悲し...。
6-7月 南アフリカ留学
今更書くこともないので、リンクだけ貼ります。
本業と全く関係ないけど、素晴らしい経験でした。どれだけ忙しくても旅は続けたいです。
6月といえば、留学中に東大のデータ分析コンペで (運の要素も強かったのですが) 1位になることも出来て少し嬉しかったです。
帰国後すぐに卒論の中間発表と期末に追われ、地獄の8月に突入します。
8月 アントレチャレンジ・院試
アントレチャレンジはファイナリストには残れたものの今年最も反省が多いイベントで、チームでのコミュニケーション不足と、僕の見積もりの甘さ・マネジメント能力の低さが非常にまずかったです。ここを克服して来年は帰ってきたいです。プレゼンが上手いと褒められまくった点だけは良かったです。
院試対策は3週間しか充てられず、さらに全力で勉強出来たのはアントレチャレンジ終了後の2週間だけという地獄でした。しかも知能機械と航空両方受けちゃった。付け焼き刃の勉強で両方ともなんとか合格を掴み、来年からは知能機械に進学することになりました。
院試後には研究室旅行がありました。本当に尊敬できる先輩方ばかりだと再実感しました。
9月 卒論
卒論何しようか考えつつ毎日を過ごしていました。論文を読むんですが、何も思いつきません。何度も(俺は勉強しか出来ないタイプの東大生なんじゃないか?)と悩みました。留学→院試で疲れたので、少し休憩も挟みつつ。。
10-11月 卒論
10月前半は合宿免許に行きました。在学中に取りたかったし、研究のことだけ考えると煮詰まりそうになるからでした。11月末が提出期限の弊学科のタイムラインだと大きなイシューは扱えないなと思い、既存最先端手法を改良するという方向で話を進めることにしました。既存の分類問題手法にGANによる異常検知を導入するという話だったのですがこの方針がヒットしsotaっぽいのが出ました。先生にも「いいね、国際学会に出してみたら?」と言われて嬉しかったです。
12月- 卒業設計・インターン復帰
戦いは続きます。卒論を終えてインターンに復帰し、卒業設計も基礎計算書を提出した段階で2019年が終わりました。全体的に燃え尽き気味だったのが悔やまれます。最低限はやったという感じです。
今年の目標
これまでは「英語できたらいいな」「プログラミングできるようになりたいな」と自分に出来ないことが沢山あったために能力開発に時間を投資してきました。また学科が忙しかったこと、留学があったことで慢性的に時間もありませんでした。修士では時間が捻出できそうなので、それを駆使してプロダクトを作ったり、研究成果を出すのが今年の、というか修士課程通しての主目標です。
それ以外だと、今年の目標は以下の通りにします。
・エンジニア就活を成功させる
→ AtCoderを隔日で1セット解く。青色になるまでは頑張ってみる。
・事業者になってお金を稼ぐ
→ フリーランス活動などを行う。ゆくゆくは経営者になる道だってあると思うし、それには営業力も必要と思う。丸二ヶ月くらいやれば十分ではないか。有意義だと思えばもっとやろう。
・旅行はやめない
→ 視野を広げるために必要だし、(自分には絶対必要な)休暇の使い道と捉えれば時間的な無駄もない。海外旅行は4回は行きたい。
・休みは3日まで
→ 集中タスクを潰した後に休み過ぎがちなので、3日で完全にガス抜きすることにする。無理そうなら海外旅行を挟む。
・友達関係の維持につとめる
→ 2019年は自分は友達の維持がうまくない(というかあまり意識してなかった)が、幸い周囲に積極的に維持しようとしてくれる人がいることで人間関係が成り立ってることに気づいた。自分もそこに貢献できるように、まずは意識的に取り組もう。
・彼女作ろう
→ 2018年のクリスマスの苦い記憶から、そろそろ自由になりたい。動こう!
思ったんだけど、一年というスパンでこの企画やる意味ないね!笑
PDCA早く回したほうがいいの間違いないし、一ヶ月毎に反省日記兼来月の抱負書いてもいいかもしれない!というかそうしよう。
この記事はtwitterなどでシェアしていませんが、もし目に触れた方がいましたら今年もよろしくお願いします!それでは!
南アフリカ留学記
※この記事は東大航空宇宙アドベントカレンダー22日目の記事の前半として書かれています。
こんにちは、航空B4の@yohei_freelanceです。本当は期日通り出したかったのですが遅れてしまいすみません。
本投稿は4Sセメでの南アフリカ・ケープタウン大学への短期留学についてのポエムです。11,000字超えの大作になってしまいましたが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
南アフリカの基本知識
まず、南アフリカについての基本知識です。
日本と南アフリカは14,000kmほど離れていて、アディスアベバやドバイなど、様々な空港を経由して行くことが出来ます。僕は成田→香港→ヨハネスブルグ→ケープタウンと2回のトランジットを経て行きました。
(ヨハネスブルグはイギリス統治時代の首都で、ケープタウンは現在の立法府が置かれている街です。南アフリカは三権が全て違う都市に配置されており、それぞれ行政府はプレトリアに、司法府はブルームフォンティーンにあります。)
片道にして24時間かかり、特に香港→ヨハネスブルグはwifiがないインド洋上を13時間飛行するので延々寝るしかありません。これだけ遠いので、行くなら学生の間に行くことをオススメします。
航空運賃は時期があまり良くないこともあって13万円ほどでしたが、Cathay Pacific・British Airlines・JALの共同運航だったため東南アジア往復分くらいにはマイルがたまりました。10万円以下で行けることもあるので、時期を選びましょう。
南アフリカを訪れる学生は文系含めて非常に珍しいです。僕が参加していたプログラムでは101人中なんと僕だけ。
不人気の理由の一つに、他国に比べ悪い治安が挙げられます。南アフリカは北の山脈を超えるまでは涼しい気候でマラリアの心配こそありませんが、失業率はケープタウンで25%、ヨハネスブルグで50%と非常に高く、それに起因する殺人率は全世界でも有数で酷く、シンプルに治安が悪いです。
僕が滞在してる間も何度も近隣のスラムで殺し合いがあったようで、実際に僕が泊まっている寮では朝方にホームレスが入り口を猛烈な勢いで叩き、それで目が覚めたなんてことや、友達が日中に町中でホームレスに追い回されることもありました。
AIDSの感染率は国土全体で25%なので、女性は頻発する性犯罪に巻き込まれでもしたら心理的なショックだけでは済みません。総じていかなる時も常に複数人で行動する必要があるくらいには治安が悪かったです。
と脅すようなことを書いてしまいましたが、外国人観光客がいるようなところにはきちんと警察官が配備されているので、正直そこまで危険ではないようでした。
ご飯が美味しいし、娯楽もある!
ズバリ観光で行くには、南アフリカはおすすめです。物価が安く、お金さえ出せば快適な宿泊施設もあり、すごく楽しい場所でした。綺麗なもの・美味しいもの・楽しいもので溢れています。
まず美しい景色。雄大な自然は想像していた通りのアフリカでした。サバンナみたいなものを想像されたかもしれませんが、南アフリカは南極に近く景色はヨーロッパ的です。というよりイギリス統治によってカルチャーもヨーロッパよりなので、もうヨーロッパなのかもしれません。
ケープタウンの中央にはテーブルマウンテンというてっぺんがテーブルのように平たくなっている有名な山があり、ケープタウン中の景色を一望できます。(残念ながら僕が登ったときは濃霧でした。南アフリカは6月に頻繁に濃霧が発生します。)
名産品のカラマリ(イカ)は殆どどこでも見かけることが出来ます。海に面しているケープタウンは海産物で溢れていて、揚げたり生だったりとバリエーションはいくつかありますが、各店舗味付けにこだわりを持っていてどこで食べてもハズレがありませんでした。
ワインも有名な名産品で、ワイナリーにも行きました。1000円くらい出せば一日中飲み放題!沢山の銘柄飲みたかったのですが、一つ一つを黒人白人基準でグラスに並々に注いでくるので五種くらいしか飲めませんでした。日本で満足できない酒豪は南アフリカで存分に飲むと良いと思います。
肉がうまい!日本だと五倍の値がついてもおかしくないような肉が二千円で食べれました。(写真が下手で伝わらない説はあります。)ビーフ以外にバイソンの肉なども用意されていて、ネタ枠でなく普通に美味しかったです。
カジノも楽しい!滞在時通算五回行きましたが、親切な黒人のディーラーのお姉さんにブラックジャックを教えてもらったりしました。香港やラスベガスなどと比べてもミニマムベットが小さく学生でも楽しみやすいと思います。ハマりすぎて授業を休んで行ったこともあったのは内緒です。
クラブやバーも充実しています。騒げるところも静かに飲めるところも両方充実していて、カジノで勝った後にそのお金で仲間内でシーシャを吸う時間が好きでした。
有名な喜望峰にはケープペンギンという、極地以外では唯一のペンギンが生息しています。アフリカにサバンナじゃなくてペンギンですよ?!予想外で可愛かったです。
このブログの本題ではないので話はこの辺で切り上げますが、とにかく何をやっても楽しい場所でした。一ヶ月の滞在でしたが、課題まみれだったので観光もっとしていたかったくらいです。
なんで南アフリカに行ったのか
実は、初めは真っ当な理由でチェコの大学に留学しようとしていたのですが、そのプログラムに人が集まらなさすぎてプログラム自体なくなってしまいました。
それが5月の終わりで、このままだと奨学金をもらえる目処はあるのに行くあてがないという事態になり、慌てて色々なところにメールを送りました。
7月末までのプログラムにしないと院試に滞りが出てしまいますし、それだと殆どのプログラムはクローズしていたので、どこのどういう大学とかは拘らずに様々な大学の担当部局に「締め切りが過ぎてるのは知ってるんだけど俺を入れてくれないか!?」と無理なメールを送りました。当然殆どの大学から「そんなん無理やろww」と帰ってきました。
勿論留学に行かなくちゃいけないルールなんてないのですが、この留学が終わってから院試・卒論・卒業設計で長い休みが取れなくなることは見えていて、修士に入ってからの留学は間違いなく研究関連のものになります。
学部の留学が遊びでいいわけはないのですが、そもそも僕の中には世界中を巡りたい欲求が根強くあるのでせっかくの留学チャンスを逃したくなかったし、そんな中で以下のメールが帰ってきたときにたとえ行き先が南アフリカでも行かないという選択肢はありませんでした。
You are in luck.って言われたら行くしかなくないですか?
それで今回を逃すと恐らく一生行かないであろうアフリカに行ってみることにしました。このメールにちょっとした運命も感じていたし、アフリカって一生に一回くらい行ってみたかったからです。
このメールの後に「締切はいつまでになったのですか?」と聞いたら「いつでもいいよ」と返ってきて、(アフリカって細かいこと気にしないんだな...) ってなりました。in face still openとか言ってるけど、どこにもその告知はありませんでした。
とんでもないところに来てしまった
ではここから話を本題へ。
僕はヨーロッパに行ったことがありません。アジアは勿論、過去に行ったことあるボストン・サンフランシスコ・ハワイもアジア人で溢れています。見てくれが似てる人間と話す時はたとえ言語が違ってもコミュニケーションは簡単です。アジア人かつ理系の男なんてアニメ・漫画・アイドルの話しとけば全自動で仲良くなれちゃう。アジア人の女の子は人格者が多いからコミュニケーションは極端に楽。
一方で南アフリカは華僑すら殆どおらず、香港まで大勢いたアジア人はヨハネスブルグ到着時点で95%姿を消し有意にいなくなります。さらにケープタウン行きの飛行機に乗る時、アジア人は遂に僕ただ一人でした。これは心細い。
空港に着いてからすぐ、大学からの迎えの車で寮へ向かいました。このときスラム街の脇を通って行ったのであまりの生活環境の酷さに驚いた記憶があります。滞在する間かなりの頻度でスラム街を見る機会があったので最後の方は見慣れてしまいましたが、初めて見た時の衝撃はなかなか忘れられません。
なお上の写真はスラム街の中では相当ましな方です。
確かにそこにある貧困
南アフリカには、貧困・犯罪・人種という3つの問題があります。どれも日本にもある問題ですが、深刻さが全然違います。今回は、これらの問題について一つずつ僕が聞いたことや感じたことを徒然なるままに書いてみたいと思います。ではまず貧困から。
(これはアメリカの話ですが、)同じプログラムに参加した同期にデトロイトの貧困家庭で育ち、苦労して大学へ行き現在は貧困層の黒人のためのNPOをやっている女性がいました。
概要は以下のツイートの通りです。
同じプログラムにいるデトロイトのスラムで育った黒人女性。子供の頃、父親が強盗に$100盗むついでに殺されたらしい。スーパーは黒人オンリーのところしか使えず、汚い油みたいな食べ物しかなかったとか。今はNPOで貧困層の黒人向けの福祉をやっているらしい。
— 傭兵 (@yohei_freelance) 2019年6月21日
同じ時同じ地球でも全く違う世界。。
彼女曰く黒人オンリーのスーパーはエンプティカロリーの塊みたいなものを高値で売っているらしいです。エンプティカロリーの方は確かにそうだろうなと思いますが、高値ってホントかいな?とこの話を聞いた段階では疑問に思っていました。
そんな中僕が友人たち(彼女も含む)と現地の貧しい労働者階級の黒人が行く飯屋に行った時、50ランド(=400円)でチキンライスを買いました。昼飯ということや物価補正を考えると決して安いものではありません。
食べたのですが、もう味がサイアク。ライスが謎のアブラまみれでした。空けた瞬間の異様な臭いが店の深刻な衛生環境を伝えてきます。食べきらなくちゃと頭で思っていても本能が拒絶しスプーンは進まず、途中でギブアップしてしまいました。テイクアウトしたものだったので店に残すことにならなくて良かったです。正直あれは食文化が合わないとかそういうレベルではありませんでした。
彼女の言ってた、「高くて身体に悪い食べ物しかない」ってこういうことかな?って思った瞬間でした。よく言う「お金を出せば健康的なものが食べられる」は日本では真ですが一般論としては偽なんです。
他にも貧困に関するエピソードで、レイプの話があります。冒頭で紹介した頻発するレイプですが、最もレイプが発生するシチュエーションって、実はスラム街で夜中にトイレに行くときらしいです。
スラム内の各家々にはトイレがなく、大体100軒で1つのトイレを共有するような形で使っています。それだけ数が少ないので、夜中は暗がりを長い距離歩いてトイレに向かいます。このときが一番危険でレイプや殺人の温床になってるらしいです。まさにトイレに行くのも命がけ。
以上の話は「トイレを作ることを目指すNPO」のトップから聞いたのですが、はじめ肩書を聞いた時トイレを作ることを目指すってどういうこと?公衆衛生の話?と思いました。でもまさかレイプ・殺人という明日の命の話だったんです。
ちなみに僕がスラムだと思ってた「それ」は、一応国が提供している、住民票もある正式な住居なのでした。
日本の貧困と南アフリカの貧困は次元が違うので、日本の貧困を念頭に置いて話をしているとお門違いはおろか相手を怒らせてしまうこともあります。デトロイトの彼女も一度怒らせてしまったくらいです。
そういうときはなるべく「僕は恵まれた環境で育ったから、あなたの置かれている状況を直ちに理解することは出来ないんだ」と正直に言っていました。なんて厚顔無恥なヤツなんだと思われたかもしれませんが、事実ですし、そう言って納得してもらえないことはありませんでした。変に実体験なしの相槌だけうって理解・共感したフリするのも気持ちが悪いので、たとえ怒られても攻めた内容を聞くようにしていました。旅先の恥は書き捨てなので。
ギャングと話をして
現地人のコネがあればスラムに立ち入ることができます。ちょうどプログラムのフィールドトリップでケープタウンで殺人率が最も高い区域・カエリチャに行ったときのことです。スラム街ではよくギャングが出没して略奪や殺しなどをするのですが、ギャングミュージアムという元々ギャングだった人たちがギャングの実態を話しているところに行った日がありました。
上の写真を見るとわかるように、とんでもないところにとんでもない人数の人が住んでいます。空こそ雲ひとつない快晴ですが、地表はそれと隔離されているようにすら感じます。ギャングミュージアムも上の例に漏れず、プレハブみたいなところでした。
プレハブのような小屋に入ると、痩せて背が低くしかし鋭い眼光のギャング(見てくれは完全に悪人のそれ)が自分の経験を語ります。自分と似た境遇の人間が略奪や強盗で大儲けしていて羨ましいと思い学校をやめたこと。ギャング稼業を始めて数年、ついに捕まり家族が悲しんだこと。
そして彼は「もう家族を悲しませるようなことは出来ない。だからギャング行為は出来ない」と言います。
彼に聞きたいことは沢山あったのですが、ギャングは写真撮影や質問はしないでくれと壁を強く叩きながら(!)厳しい口調で言います。一応コーディネーターからお金が入ってるから最低限の話はするようですが、やはり暗い過去についての話はしたくないのでしょう。
ギャングが話を終えて皆が部屋から出ていった後、同情なのか悲哀なのかよく分からないのですが何だか複雑な気持ちになり、周囲に誰もいなくなったことを確認して募金箱に10ランド入れました。(いいことしてるのに人に見られたくないっていう気持ち、分かってもらえますか?)
ギャングがそれを見ていたかは分からないし、多分見てなかったと思うのですが、そのあと一人で歩いてる時にそのギャングに「何か聞きたいことがあるなら聞くといい」と言われました。もしかしてお金入れたところ見られてて、これはサービスなのか?と逡巡しましたが、でもこれはチャンスだ!と思い、「あなたは被害者への申し訳なさではなく、あくまで家族を再び悲しませないことを理由に犯罪をしないことを誓うのですか?」と聞きました。答えはシンプルで、「俺が足を洗ったのはあくまで家族のためだ。」「聞くことはそれだけでいいのか?」「大丈夫です。暗い過去を話してくれてありがとう。」「そうか、良かったらまた誰か連れてきてくれ。」(ここに友達連れてこさせようとするのすげえな...)
整理すると、まず彼は見た目はあからさまに悪人で、過去の犯罪に対する被害者への反省もありませんでした。(犯罪内容は人を殺したのか単にものを盗んだだけなのかは分かりません。)ただ最後のやりとりもそうなのですが、もし違う環境に生まれていたらこういうことにはならなかったんだろうな、というのをなんとなく感じさせる人でした。僕も小さい頃、勉強やスポーツできる人羨ましいなと思って色々頑張り始めたタチなので、憧れる人を間違えてしまっただけなんじゃないかな、少なくとも僕が彼の境遇で育ってたら同じ道を辿っているような気がしました。
人種の隔たり
最後ですが、南アフリカに関してはやはり人種の話を避けて通れないと思うのでします。とはいえ、「アジア人だからサルと言われた」とかって話ではありません。スーパーのレジでカラード(coloured)に嫌がらせされたことはありましたが...。
(南アフリカでは白人・黒人・それ以外に人種を大別することが多く、「それ以外」をまとめてカラードといいます。日本では黒人でも本当に真っ黒な黒人と茶褐色な黒人を区別しませんが、南アフリカでは前者が黒人・後者がカラードです。アジア人やヒスパニック、その他混血も全てカラードに分類されます。日本人・日本人じゃないアジア人みたいなレイヤーの分け方だと思っています。)
ちなみに日本人の扱われ方は一般的にそう悪いものではありません。
孤児院に行って子どもたちの相手をしたことがありました。アジア人は珍しいので、僕は「ジャッキーチェンが来た!」と子どもたちに喜ばれ、肩車とかして遊んであげました。クソガキは僕の手で鼻水をふくので、このクソガキが!と思いました。
南アフリカの大人もそんな感じで、そんな感じといっても僕の手で鼻水をふいてくるわけではないのですが、バーなんかでも興味津々に話しかけてくれます。おかげで様々な見識を深めることが出来ました。
では改めてですが、ネルソン・マンデラ以降=アパルトヘイト撤廃後の南アフリカでは人種問題は解決したのでしょうか?残念ながら、答えはNOのようです。
例えば、カジノに行ったときです。ルーレットのやりすぎで世界が回転して見えるようになってきたので、流石にまずいかなと思って近くのバーで少し休憩をとろうとしたときに、ヒスパニック系のカラードのおじさん・おばさんに絡まれて一緒に飲むことになりました。(ちゃっかりお酒も奢っていただきました。)
話をするのですが、もう黒人への不満が止まらない。南アフリカの議会では人種ごとに議席数が決まっていて中でも黒人が優遇されているのですが、「あんなバカどもをブレーンにしてるからこの国はうまくいかない」とくるわけです。彼らはホテルの清掃員らしいのですが、彼らの同僚も黒人ばかりのようで「なんであんな無能なやつらと働かなくちゃいけないんだ」と終始その調子でした。人種差別はNGの国なので愚痴もヒソヒソ声で、こんな見ず知らずの観光客に愚痴るくらいストレスたまってるようだったので気の毒になってずっと話を聞いていました。
確かに、南アフリカではカラードがワリ食ってる感があります。スラム街で連日起こる強盗・殺人も加害者・被害者共にカラードばかり。仕事もカラードには回ってきにくいみたいです。冒頭のレジの人の俺への嫌がらせは、「同じカラードのくせに」という気持ち由来だったのでしょう。アパルトヘイト撤廃という歴史は、白人から黒人への権力の譲渡の歴史であると同時にそこから取り残された多くのカラードの歴史でもあるのです。それで黒人政権が汚職とかやってるわけですから、もうたまったものではないでしょう。
一方で今回の留学中、黒人の中でカラードや白人の悪口を言う人はついぞ見当たりませんでした。それよりも、この国が良くなるよう精力的に活動したり、懸命に仕事を探したりしているようでした。改めて人の思考とか行動って立場が作るのかもなって思いました。
こういうのを見ると、日本では日本人がマジョリティなんだから、在日韓国人への対応とか良くする方向に頑張れないものなのかなと思ってしまいます。
アントレプレナーに会って
アントレプレナーと会って話をしたことがありました。彼は南アフリカの北にあるジンバブエの出身で、電話屋やコンビニなどいくつかのビジネスをやっている人でした。若い黒人のイケメンなのに睡眠不足って感じの顔をしていました。
ジンバブエというと、やはりジンバブエ・ドルのイメージが強いと思います。
ジンバブエはすごい破綻の仕方をした国だということをご存知でしょうか?彼の国は独裁国家だったのですが、国内の利権の多くを白人が持っているという問題を抱えていました。そこで政権はジンバブエ内の全ての外資系企業の51%の株式を渡すように法律を作りました。当然殆どの外資系企業は国外へ逃げていき産業は空洞化、ジンバブエ・ドルの価値はなくなり10^20%という摩訶不思議なハイペーインフレを経験した後財政破綻しました。一国の終わりとしてはあまりにもしょぼいですね...。
ちなみに現在ジンバブエは通貨として米ドルを使っていて、ジンバブエ・ドルはギャグとしてお土産屋で売られています。まさに上の写真は買ったもので、200億ジンバブエ・ドルですが20ランド(=160円)で買いました。笑
さて話を戻しますが、それだけ不安定な情勢だったので多くの人間がジンバブエでは食べていけなくなり、アフリカでは圧倒的に経済など支配体制が充実している南アフリカに流入します。ここで会ったアントレプレナーもその一人でした。
南アフリカも仕事があるわけではないので、彼の職探しは難航します。周りにも求職者が大勢いることに気づくと(失業率25%ですからね)、この人達の雇用も生んだほうが良いんじゃない?と思い始めます。そこで彼はボロ屋に電話器が一台だけあるという公衆電話を始めます。それが軌道に乗るとスーパーなど生活必需品に横展開して...今(数十人雇ってるらしい)に至るそうです。
国から逃げてきて電話一台からビジネス始めるってすごくないですか?この人すごすぎると思って、「南アフリカは失業率が高いが、あなたのように自分で事業を始められる人が増えればこの国は素晴らしいことになると思う。しかし、現状残念ながらそうはなっていない。あなたは彼らに比べて特段ツテや金銭を持っていたわけではないと思うが、あなたが思う彼らとの違いは何なのですか?」と聞きました。
それに対して、「(僕が「what factors made you distinct from others and successful?」と聞いたので)自分はジョブズのように成功(successful)したわけじゃないけど」と笑いながら前置きして、「恐らく自分が南アフリカ出身ではなくジンバブエ出身なのがラッキーだったと思う。まずジンバブエ人だから国籍の関係で仕事を取れる可能性が低かったから早くから別の選択肢を考えなくてはならなかったし、色々な場所を巡ったことでどういうものが求められているか分かるようになったと思う。起業家がやるのは世の中のギャップを埋めることだから、それは大事なこと。ジンバブエは南アフリカより遥かにひどい状況だったから、周りで南アフリカの雇用環境に絶望してる人はいたけど僕はあまりそこに何も感じなかった。」
思えばそれが事実であってもそうでなくても、ジンバブエに生まれたことがラッキーだったって言えるってすごいなと思いました。どこにいてもできる最大限ができる人はかっこいいし、僕にとっては日本にいる成功者の誰よりも説得力があるように感じられました。
南アフリカの未来
期間中の教官の一人は中国が大好きな人でした。中国はあんなに多くの人民の舵取りをしなくてはならず、つい最近まで貧国の一つでしたが共産党への権力一極集中と改革解放政策により近年は急成長。「中国は経済を得たが自由はない。我々は自由を得たがまだまだ経済的に繁栄しなくてはならない。自由と繁栄を両方手に入れるのは難しいが、進み続けなければならない。」
アパルトヘイト撤廃直後は支配体制を危惧して多くの外資企業が国外に出て産業が空洞化、経済的にも苦労した南アフリカですが、20年が過ぎようやく教育を受けた黒人が世の中に出る時が来ました。これから何かが変わるかもしれません。
ちょっと頭がかたいかも?と思ったこともありましたが、熱意120%の授業をする若い教授でした。「将来は大統領になることが私の夢なんだ。」その時が来ればいい大統領になるに違いありません。(そしたら俺は大統領と知り合いか??笑)
国が豊かになると、「この問題って誰かが解決してくれるよね」と人任せになりがちだと思います。豊かさに豊かさを足すことは喫緊のものではないからです。そういう点があるのは分かっているのですが、それでも「私がやるんだ」を多く感じた南アフリカを、経済以上に近年意識の面で衰退している日本人の端くれとして羨ましいと思わずにいられませんでした。
南アフリカ留学の意義?
僕は南アフリカに行って良かったなと思ってます。純粋に楽しかったし、自分の知らない世界を覗くことができ、自分の引き出しが増えたような気持がしています。院試からの現実逃避もできました。
全部書くとアレなので、ここでも一つ新しく得た価値観を書いて終わりたいと思います。
南アフリカに行って学んだのは、(僕にとっては)必死に生きるのが大事だということです。彼らは選択肢がない中で必死に生きてるかもしれないけど、それでもかっこよかったからです。
僕はずっと「自分がやりたいことを必死で実現する姿」をかっこいいと思っていて、自分もそういう人間になりたいと思っていました。その価値観を揺さぶられた気がしています。
というのも、実は案外「自分がやりたいことをやる」って自分の中ではウエイトがなくて、「必死でやる」ことの方が大事なんじゃないかと。
僕は航空宇宙に憧れて東大に来た人間なのですが、学科配属後「やっぱり自分の将来は航空宇宙じゃないな」と思うようになり、ずっと虚無感がありました。頑張る対象の航空宇宙がなくなるとエネルギーをぶち当てる先がなくなってしまい、気持ちの上で空回りし続けてるような気がしていました。
価値観を「頑張る過程」にシフトさせるということは、今はとにかく自分がちょっとおもしろいかも、と思ったことを一生懸命やる、やってみて自分が本当にやりたいことじゃないと分かったとしてもそれはオッケーだと思うようになりました。別に知識や経験が次に活きるからではなく、その瞬間自体で自分が完成してるからそれでいいのかなと思うようになりました。
僕はこれまで離陸待ちの飛行機みたいなメンタリティで生きてきた時間が長い気がしています。(今は、空高く飛ぶために準備しているんだ。)でもそれじゃダメなんです、多分。
それでいて僕は明日の暮らしが大変な南アフリカの人たちと違って選択肢もあるので、短期的には目の前のことを必死で頑張り、頑張った結果何も進まなくても落ち込まず、次のことを必死でやる、長期的にはいつか人生を費やす事柄を見つける、ということにしました。このメンタリティ最強だと思うし、これで当分生きていこうと思います。
...ここまで書いておいてなんなんですが、「人生に疲れた東大生インドに行くと人生観変わる」みたいなやつってこういうことなのかなと思ったりします。南アフリカ遠すぎる人はインドに行こう!
まとめ
理系は忙しく、航空はその中でもさらに忙しい方かもしれません。僕は勉強や研究だけを出来ればそれでいいというタイプではないため、そもそも文系の友人が研究とか関係なく気軽に留学とかしてるのを見るといいなあと思ってしまいます。なんだかんだそういうのが人生を豊かにしたりするからです。(個人の感想です。)
これから修士に行ってそういうこと出来なくなると思うと少し悲しいです。文系の人たちも就職すれば出来なくなるからむしろ立場逆転とすら言えるのかもしれないですが...。
この記事を読んで興味が出てきた人は、是非南アフリカかインドに行ってください。新しく東大生アフリカ行きがちってトレンド作ろう!行くなら気の良い現地の人も紹介いたします!
それでは、話を大幅に俗世に戻して22日目後半の有馬記念に機械学習で挑んだ記事に行きたいと思います。僕は3月終わりまでタスクが山盛りなので、途中の空いたタイミングで出そうと思います。いつになるかは分かりませんが、22日目が空いたままなのはszmtさんに申し訳ないのでとりあえずこちらは書き上げました。
長い本記事にお付き合いいただいた方、本当にありがとうございました!良いお年をお迎えください!